問題一覧
1
一地一作人原則とは
検地帳に各土地の耕作者を記載することにより農民と土地の関係を明確化し、農民は農地の保有権を認められた。代わりに年貢の納入を義務付けられた。
2
村請制
村ごとの領域を定め、村の石高を決めたうえで、村に年貢納入高を配分し、村が年貢の納入責任を負うこと
3
地租改正の目的
地租改正は明治政府が財政基盤の確立をするために、※統一税制を構築して全国土から安定した税収を徴収することを目的とした。
4
地租改正によって近世と比べて租税(近世は年貢,近代は地租)の課税基準と納入義務者,納入方法はどのように変化したのか,説明しなさい。
1.土地の私有を公認し、土地所有者の確定と所有権の法定を行い、近代的土地所有が成立した。 2.徴税主体が、幕府や大名から政府に変わり、政府が全国土から徴税するようになった。 3.納税義務者が耕作者から土地所有者へと変更された。 4.課税基準は石高から地価へと変更された。 5.税率は地価を基準とした定率に変化した。 6.納入方法も米の納入から金納になった。
5
地主制の特徴、地主と小作農の関係を中心に
1.地主所有地(小作地)が全農地の半分弱を占めた 2.地代(小作料)が水田では現物(米)で高率である 3.地主の所有権が強く作農の借地権が弱かったため小作農は地主へ隷属している 4.一部の巨大地主と多数の零細地主、耕作地主が存在する二重構造になっている
6
米消費の増加を支えた供給面での条件
米消費の増加に対して、1910年代前半までは明治農法の普及による国内生産量の増加によって供給していたが、それ以降は国内生産量が横ばいになり、旧植民地(朝鮮、台湾)からの移入米や他国からの輸入米への依存が引き続き増加する米消費を支えた供給面での条件になった。
7
零細農耕(零細分散錯圃制)について
零細農耕とは、1農業経営当たり耕地面積が零細であるとともに、1圃場当たり面積も零細であり、さらに1農業経営の圃場が分散しており、他の農業経営の圃場と混在(錯綜)している状態を指す。零細分散策圃制とも呼ばれる。
8
昭和恐慌・農業恐慌が日本の農業や農民の生活にどのような影響を及ぼしたのか
生糸の最大の輸出先であったアメリカが世界恐慌で不況となったことと人口繊維が発明されたことが重なり、生糸輸出が大幅に減少し繭価が暴落した。また、米価の暴落と東北を中心とした大凶作も重なったことで、繭と米を中心とする農業が大打撃を受け、農家の所得は減少し、農民の生活は困窮した。そのため、耕作権の保障や小作料の減免を求める農民運動が活発化した。
9
農地改革の意義と限界について、「地主制」、「小作農」「戦後自作農」、「零細農耕」の言葉を必ず用いて説明しなさい。
農地改革の意義とは「地主制」を根本的に解体し「戦後自作農」を創出したことである。その結果、農民が労働の成果を自ら享受できるようになり、農業生産への意欲の向上と、農業経営と農家生活の改善につながるきっかけとなった。しかし、既存の小作地の所有権を地主から「小作農」に移転したことだけにとどまり、「零細農耕」の改革には手がつけられなかったことが農地改革の限界であった。
10
第 2 次世界大戦直後に生じた深刻な食料不足の要因について,食料の需要の動向と供 給の動向の二つの側面から説明しなさい
第二次世界大戦直後に生じた食料不足の要因は、需要面では、人口増加による食料需要の増加があり、供給面では、第二次世界大戦による労働力不足や肥料不足による農業生産力の減退、1945年の米の大凶作、旧植民地からの移入米の途絶があった。
11
1961 年に制定された農業基本法は何を目標としたのか。農業と他産業との間に存在した二つの格差を中心に説明しなさい。
農業基本法の目標は、農業の発展と農業者の社会的・経済的地位の向上を図ることである。これを達成するために、農業の生産性の向上を図ることで他産業との生産性の格差を是正するとともに、農業従事者の所得増大によって所得格差を是正し、他産業従事者と均衡する生活を営むことを掲げた。
12
農業基本法が育成しようとした自立経営とはどのような農業経営なのか。農業基本法 の目標を踏まえて説明しなさい。
自立経営とは、正常な構成の家族のうちの農業従事者が正常な能率を発揮しながら、ほぼ完全に就業でき、加えて当該農業従事者が他産業従事者と均衡する生活を営むことができるような所得を確保することが可能な経営規模の農業経営である。
13
高度経済成長に大都市への人口集中が進んだことから,消費者に対する生鮮食品等の供給システムの整備が課題になった。そこで実施された生鮮食品等(特に野菜)の流通の近代化のための政策について,「大規模産地」,「卸売市場」を必ず用いて説明しなさい。
生鮮食品流通の近代化のために、中央卸売市場の整備と大規模産地の形成によって、それらを結ぶ流通網の整備を進める政策であった。
14
1960 年代には稲作のような土地利用型農業の経営規模拡大は,農業基本法が描いたシナリオのようには進まなかった。では,土地利用型農業の経営規模拡大にはどのような制約要因があるのか,説明しなさい。
土地利用型農業の経営規模拡大には、土地の有限性と、規模拡大できる範囲の限定性という制約要因がある。
15
農業経営における農業就業人口の減少と兼業化をもたらした要因を,プッシュ要因とプル要因の両面から説明しなさい。
プッシュ要因とは、農家世帯員を屋外に押し出す農業経営内部の要因、プル要因とは、農家世帯員を農外就業に誘引する農業経営外部の要因である。
16
わが国では 1960 年代末に米過剰が発生した。そこで,米過剰につながった1960年代における米の生産と消費の動向を説明しなさい。
米過剰に繋がった生産面の動向は、増産政策以降の、食糧水稲作付面積・単収の増加と1960年代末の連続豊作により、米の生産量が増加したことである。消費面の動向は、食糧消費の洋風化・多様化により米消費量が減少したことである。
17
需給調整の一般的な方法として,供給量の調節(生産拡大,生産抑制,輸出,輸出),需要量の調節(消費拡大,消費抑制)が考えられる。では,わが国で米過剰が発生した際に,需給調整のためにどのような方法がとられたか,ここに記した方法を踏まえて説明しなさい。
米過剰が発生したことにより、需給を均衡させるために、供給面では生産調整政策によって生産量の抑制を図るとともに、輸出、援助、加工用仕向、飼料用といった過剰米処理が実施された。需要面では、消費拡大政策が実施された。
18
米過剰が発生する以前と以後を比較して,わが国の稲作の動向がどのように変化したのか,その特徴を「土地生産性」,「労働生産性」,「収量」,「食味」を必ず用いて説明しなさい。
米過剰の前後で稲作には大きく2つの変化があった。1つ目は土地生産性の追求から労働生産性を追求するようになったことである。2つ目は、収量重視から食味重視の生産へと変化したことであり、自主流通米として販売できる良食味品種の開発と生産拡大が進んだ。
19
わが国で 1980 年頃に形成された「日本型食生活」とはどのような特徴をもった食生活か,説明しなさい。
日本型食生活とは、1980年頃に形成された平均的には栄養バランスの取れた健康的な 食生活のことをいう。米、野菜、魚を中心とした伝統的な食生活に、肉、乳製品,雞 卵、油脂、果物などが加わった多様な食生活である。供給熱量は、日本人にとってほぼ満足すべき水準に達しており、PFC比率もほぼ適正である。タンパク質に占める動物 性タンパク質と植物性タンパク質が相半ばしている。欧米とは異なる独自の食生活パターンで、日本の風土に根差した食生活である。
20
小売企業や外食企業が事業規模を拡大するためにどのような方法をとったのか,またその理由は何か,説明しなさい。
小売企業や外食企業は、事業規模を拡大するために多店舗を経営するチェーンストア ・システムという方法をとった。その理由は、食品は最寄品であり、消費者はできるだけ近くの店舗を利用しようとすることから、少数の店舗を経営するだけでは来店客数に限界があるため、多店舗経営することによって来店客数を増やし、事業規模を拡大できるからである。
21
農業基本法が目的の一つとした農業従事者と他産業従事者との間の所得均衡は,1970年代半ばに農家世帯の世帯員 1 人当たり所得が勤労者世帯を上まわったことで,農業基本法のめざした姿とは異なった形で実現した。では,農家経済のどのような動向が所得均衡につながったのか,説明しなさい。
兼業化が進行したことによって農業所得の増加を上回って非農業所得が増加したことや年金等の収入が増加したため、農家総所得が増加した結果、農家世帯の一人当たり家計費が非農家世帯を上回るようになったことが所得均衡につながった。
22
「新しい食料・農業・農村政策の方向」で育成しようとした担い手は,どのような担い手なのか。また,この担い手の育成のためにどのような方法をとったのか,説明しなさい。
「新しい食料・農業・農村政策の方向」が育成しようとした担い手は「効率的かつ安定的な経営体」であり、他産業並みの労働時間と地域の他産業従事者と遜色のない水準の生涯所得を確保できる経営を行いうる農業経営のことである。育成のために農業経営の法人化の促進と認定農業者制度という方法をとった。
23
食料・農業・農村基本法の 4 つの基本理念とはどのようなものか,またそれぞれの理念が互いにどのように関係するのか,説明しなさい。
食料・農業・農村基本法には「食料の安定供給の確保」、「多面的機能の十分な発揮」、「農業の持続的な発展」、「農村の復興」の4つであり、前の2つを実現するためにはそれ以外の2つが必要である。また、この2つは相互に関係するので、両方を実現する必要がある。
24
わが国の食品製造業は 1990 年代から海外進出を進めていった。では,なぜ海外進出するようになったのか,その要因をプッシュ要因とプル要因の両面から説明しなさい。
食品製造業の海外進出を促したプッシュ要因は国内の食市場の縮小と食品製造業の売上の停滞・減少であり、プル要因はアジア諸国の人口増加による食市場の拡大と経済成長による購買力の向上である。
25
2000年代に入ってわが国の農業経営体の規模拡大が急速に進んだ。では,規模拡大がどのような形で進んだのか,農業経営体の経営耕地面積の拡大,農産物販売金額の増加,ビジネスサイズの拡大,の三つの点から説明しなさい。
農業経営数が減少する中で、経営耕地面積規模別には5ha未満の経営が減少し、10ha以上の経営が大幅に増加した。農産物販売金額規模別には、販売金額一億円を超える農業経営が畜産部門を中心に増加した。また、6次産業化が進んだことによってビジネスサイズを拡大する農業経営が現れるようになった。
26
農地の集積と集約化とはどのようなことか,また農地の集積と集約化を進めるためにどのような政策がとられているのか,説明しなさい。
農地の集積とは農地を集めることであり、農地の集約化とは農地をまとめることである。農地の集積と集約化を進めるために、農地バンクを活用する政策が取られている。
27
わが国においては,農業経営の安定のための政策として,1990 年代前半までの農産物価格政策に代わって,1990 年代後半からは農業経営安定対策(経営所得安定対策)が実施されるようになった。では,なぜ農業経営安定対策が必要となったのか説明しなさい。
1990年代後半以降、WTOのもとで国内農業政策への集約が強まり、農産物価格支持政策の廃止・大幅な縮小が行われた。そのため、市場における価格形成によって、農産物価格が下落した場合には農業経営に大きな打撃を及ぼすことになる。そこで、農産物価格下落による農業経営への影響を緩和して経営を安定させるために農業経営安定対策が必要となった。
28
日本型直接支払制度の目的はどのようなものか,またその内容はどのようなものか説明しなさい。
日本型直接支払制度の目的は、農業経営や地域による多面的機能の維持・発揮のための取り組みを支援することにある。その内容は、中山間地域の生産条件の不利を補正するための中山間地域等直接支払、自然環境の保全につながる農業生産活動を支援する環境保全型農業直接支払、農地・農業用水等の地域資源の保全管理と質的向上の為の支払いを目的とした多面的機能支払である